父の背を追いかけ、みずから始めたフェンシング。
小学1年生より遊び感覚で練習をはじめ、小学3年生でみちのく少年フェンシング大会初優勝。勝つ事の楽しさを知り本格的にフェンシングにのめり込む。
中学時代は全国優勝するなどフェンシングで活躍する一方、文武両道をモットーに勉学にも励み、宮城県仙台第三高等学校へ進学。活躍の舞台を世界へと広げ、世界選手権に2年連続出場を果たす。
仙台三高卒業後は早稲田大学スポーツ科学部へ進学。大学でも着実に好成績を収め3年生夏の世界選手権では16位に。しかし、その後右手首の痛みに見舞われ2度の手術を行う。1年間の休養を経て4年生の秋に本格復帰するも結果を出せないまま大学を卒業。
2019年春、株式会社日清製粉グループ本社に入社。入社後に3度目の手術を受け、再び奮起しフェンシングに身を投じるも、2021年東京五輪、2024年パリ五輪ともに出場は叶わず。
現在はオリエンタル酵母工業株式会社のアスリート社員として、次なる新たなステージへ、覚悟を持ってフェンシングを続けている。