カノミナミ2019年12月19日
本当に久しぶりに更新します。
ようやくここに書けるまでになりました。
まずはずっとご報告せずに、この報告を楽しみにしてくださってた皆さん、すみませんでした。そして、それでも変わらずに応援し続けて下さっていた皆さん、本当にありがとうございます。
この一年は本当に大変な一年でした。
全て書くと長々となってしまいそうですが、少しずつ今までのことをご報告しようと思います。
怪我から復帰後、本当に結果が出ず、悩ましい時期が続きました。最初の一年くらいはまだ、次頑張ればいい、と前向きに頑張れていましたが、今年に入ってからオリンピックが近くなり、諦めたくないけど客観的に見て諦めるしかないような自分の実力にとても失望しました。また、いろんな人が応援してくれていましたが、私自身オリンピックに向けて頑張ります、と言いながらも実力が伴っていないことで、どんどんその言葉すら言うのが辛くなりました。
今年の5月にはワールドカップのメンバーから理由も説明されずに外され、”あぁいよいよ私もチームから見捨てられた”、とそれは結果を残さなかったから当然で、コーチたちもそれが仕事だと頭では分かっていても、なんて薄情な人たちなんだ、とチームもコーチも何も信じられなくなりました。
周囲に弱くなったと囁かれ、ナショナルチームの中で練習する中でも、5月のワールドカップメンバーから外されたことで、次はどんな仕打ちが待ち受けているのかいつもビクビクしていたし、いつ練習場から追い出されるのかと不安でした。私自身もこんなに弱いのにここで練習していていいのかと思っていたし、弱すぎてみんなに迷惑をかけているのではないかとどこにも居場所がなくなりました。
結果が全ての世界、結果さえ出せればチームやコーチの対応、周囲の対応が変わるので、とにかくそこまでは自分でなんとかしなければならないと思ってやってきました。
しかし、自分でどんなに練習量をしても方法を変えてみてもうまくいかず、自信を失う一方で、本当に私は弱くなったんだ、と自分でも自分を信じる気持ちがなくなってしまいました。
誰も信じられず、唯一信じていた自分ですら信じられなくなり、頑張りますと言っても何を頑張ればいいのか分からなくて、頑張ろうにも何に向かって頑張ればいいのか分からなくなってしまいました。
ただただ分からない。の一言しかありませんでした。
毎日練習には行っていましたが、あまりにも自分が弱くてコーチに1秒でも私のために時間を取らせることが申し訳なくて、また、昔はあんなに期待してくれ、目にかけてくれていたのにそれに応えられずに、チームからも見放されてしまった自分が情けなくて目も合わせることができませんでした。
そんな毎日が続いて、でもフェンシング を止めるわけにはいかないし、どうしようか、と思っていた時に昔見てもらっていたイタリアのコーチが日本に合宿に来た時にアメリカに来て練習したら、と言ってくれたことを思い出しました。
唯一そのコーチだけは私をまだ信じていてくれて、オリンピックを諦めるな、と言ってくれました。
ユニバーシアード大会が7月に終わり、ユニバーシアード大会も個人戦は2回戦で15-0で負け、本当に自分を日本の恥だと思ったし、これでいよいよナショナルチームの練習からも追放だと思いました。日本のコーチや協会に合わせる顔もありませんでした。
そのタイミングで逃げるようにアメリカへ行きました。
アメリカに行くことも本当は怖くて、なぜなら、そこが最後の砦で、そこで強くならなければフェンシング 人生終わりだ、と思っていたからです。
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この話を全て記録するとあまりにも長くなり、また更新までに時間もかかるので小分けにして更新しようと思います。
アメリカでの練習、生活は次回投稿に書きます。
今回の遠征、エジプト、フランスの話にたどり着くまではだいぶ長くなりそうです…。